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飽き性のくせに次々と新しい設定を妄想して楽しむたかのんの自己満足専用ページ。掲示板にてつらつらと妄想語り進行中。『はじめに』を呼んでください。感想もらえると飛んで喜びます。掲示板は一見さんお断りに見えないこともないけれど、基本誰でも書き込みOKです。
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09:わがままを一つ、言ってもいいかな?
「甲洋くん、何してるのー?」

春休みの終わりが徐々に近づいてきたある日の晩。
リビングの巨大なテレビの前に蹲り、俺はテレビから伸びるケーブル類を弄っていた。
そんな俺の動きを気にしたのか、背後からやってきた葉月が不思議そうに問いかけてくる。確かに、女の子はあんまり触らないかもな、こういうところ。

「ちょっとゲーム機の接続をさせてもらおうかなと思って」

必要になるケーブル類やコンセントは確保し終えたので、後ろに立つ葉月へと振り返りながらそう答える。
俺も男子高校生であるし、人並みにゲームは嗜む。当然というかなんというか、一緒に遊ぶ相手は例によって榛名だ。

いまこうしてゲームの準備をしているのも、認めるのはちょっとあれだがあいつのためである。
昼間、榛名から「天空橋との同棲生活は刺激的なようだね、何よりだよ」などというメッセージが届いたのだ。
これを長年の親友経験から培った榛名語訳フィルターに通すと、「葉月ばっかり構ってないで僕を構えよ」という意味に変わる。だって何も言うことなかったらあいつメッセージなんて送ってくるタイプじゃないもんな。

「ゲームかぁ。誰かとやるの?」
「榛名とやるつもりなんだけど……テレビ借りてもいいかな?」
「うん、構わないよ。そもそもこの家にあるものは全部家族のものじゃない?」

そうやって笑い返してくれる葉月に礼を言って、俺はテレビの下から引き出して来たケーブル類と、脇に置いていたゲーム機の接続を始めた。後ろの葉月は興味を引かれるものでもあったのか、いつの間にか隣に移動してきている。
じーっと手元を見られるから少しやりにくいが、文句を言うほどのことでもない。ぱぱっと接続を終え、俺はテレビとゲーム機の電源を入れた。
ゲーム機のロゴが画面上に表示され、起動が無事に終わったことを確認してホッと一息。

「甲洋くんってゲーム好きなの?」

俺が一仕事終えたと判断したのか、今まで黙っていた葉月が訊いてくる。

「うん、好きだな。葉月はやるのか?」
「全然。やったことないや」
「女子はそうかもなあ」

ゲームをやる女子もいるにはいるのだろうけど、教室で新発売のゲームがどうこうみたいな話に花を咲かせる女子を見た記憶はなかった。教室で見かけた葉月も、もっぱら昨晩のドラマやアイドル、ファッションなどの話題を楽しんでいたはずだ。

「でもわたし、ちょっと興味があるかも」
「へえ、ほんと?」
「家族の好きなものは気になるよね」

にっこりと、葉月。
たとえそれが見知らぬものであっても、家族が好きなものだから興味を持って接してみようとする彼女の態度には好感を覚える。
家族のことを理解するためなら、葉月はいつだって真摯で一生懸命なのだ。
だから、俺は彼女に報いたいと思うし、彼女のその姿勢を見習いたいと強く思う。

「……だったら今度、一緒にやろう。協力して遊べるゲームもあるはずだから」
「本当? 楽しみだな」
「うん。その代わり……といっちゃなんだけど、今度葉月の好きなドラマとかも教えてくれ」
「え……あ、うんっ、もちろんだよ甲洋くん。おすすめがいっぱいあるんだっ」

どれがいいかな、ラブコメディかな、なんて。
楽しそうに悩む葉月を見ていると、自分の提案が間違ったものでなかったとわかって嬉しくなる。
やっぱり、葉月は楽しそうにしているのがよく似合う。天空橋葉月に一番似合う表情は笑顔に違いない。



* * *



テレビの前のソファに腰掛け、ゲーム機に接続したヘッドセットを装着する。

『天空橋は放っておいていいのかい?』

ヘッドホン越しに届いた第一声は、こちらを揶揄するような榛名のアルトだった。
放っておいていいのかいって、その言葉そっくりそのまま返してやろうか。お前こそほっぽったら泣くだろ。

だが、そんなことを言ったところで否定してくるしより面倒な返答が戻ってくるだけなのでここはスルー。
さっき葉月は風呂に行ったので、それをそのまま榛名に素直に伝えてやる。

「葉月は風呂行った」
『葉月! ははは、これは傑作だ。まさか君が、あの天空橋を、葉月と!』

榛名が返してくる声音は、愉悦が漏れ出てると言わんばかりのそれだ。
まあ、榛名がそう言う気持ちもわからないではない。かたや学園のアイドル。かたや凡庸なクラスメイトA。ついこの前までは、さしたる接点もなかった間柄なのだ。名前で呼び合う関係には思えないだろう。

「いろいろ取り決めがあったんだよ。二人きりの時は名前で呼ぶとか」
『……僕が思っている以上に仲が深まっているようだな。驚きだ』
「一年前はどうであったにせよ、今はもう家族だからな」

言いながら、俺は両手に握ったコントローラーで画面上のキャラクターを操作する。
榛名とプレイしているのはつい先日発売されたばかりのハンティングゲームだ。
適当にミッションを受注して、榛名が同じミッションを受注するのを待つ。

『フ、家族ね……。そういえば君、苗字は変わるのか?』
「いや、変わらない。変わったら学校で面倒そうだろ?」
『「天空橋葉月、学生結婚か」なんてゴシップが飛び交うかもしれないね』

想像しただけで呻きそうになる。やっぱり天空橋甲洋じゃなくて月守甲洋のままでいた方がよさそうだ。
それに、学生結婚がどうのこうのってのは榛名の冗談としても、俺が葉月と家族になったというのはあまり他者に知られたくはない。

「……関係が知れたら葉月に近づくためのダシにされそう」
『どうだろう?』
「将を射んと欲すればまず馬を射よって言うじゃん?」
『…………』

俺がしみじみ呟くと、ヘッドセットの向こうの榛名は沈黙を返してきた。おい。なんで黙るんだよ。

『甲洋……君、なかなか自惚れが強いタイプだったんだな……』
「……恥ずかしくなるから素に戻るのやめてくんない?」
『今度から君を天空橋の馬……ああそうだ、ちょうど良い。ペガサス月守と呼んであげよう』
「俺が悪かったから。やめて」

そんなやりとりを続けているうちに、榛名がミッションを受注した音が聞こえてきた。あちらの準備が整ったらしい。
フィールド移動しますかと尋ねてくるポップアップに了承を返すと、画面がローディング画面に切り替わる。

『いいじゃないか。ペガサス月守……くくく……格好いいよ』
「やめてくれません?」

ちくしょう榛名の野郎め。見てやがれ。泣いても遅いぞ。

長めのロードが終わり、ミッションスタート地点に俺と榛名、二人が操作するキャラクターが表示される。

「よっしゃ隙ありィ!」

これ幸いとばかりに、俺は自キャラを操作して榛名のキャラクターに殴りかかった。一撃が重い俺のキャラの攻撃を受けて、榛名の体力がごっそり減る。
このゲームはハンティングゲームなので大きなモンスターを狩るのがメインの楽しみ方なのだが、プレイヤーキャラ同士で潰し合うこともできる。俺と榛名はこの楽しみ方も結構好きだった。

『甲洋貴様……!』
「ククク……隙があるのが悪い!」
『ほう、そう言うかい。だったら!』

俺の重戦車タイプのキャラに対して、榛名が操作するのは遠距離攻撃主体のキャラクターだ。
奴のキャラは身軽な動きで俺のキャラから距離を取って、チクチクと射撃攻撃で体力を削ってくる。
まったく! 操作している本人の性格が滲み出てやがる!

「榛名てめえ! 卑怯だぞ!」
『これが僕の間合いなんだから仕方がないじゃないか?』
「くっそ……」
「……甲洋くん、お風呂上がったよ?」

鈍重な俺のキャラでは、榛名のキャラに対する有効な手段があまりない。それこそ先ほど放った不意打ちくらいだ。
いや、あるいは乱戦に持ち込むと言う手があるか。近距離攻撃手段を持たないので、榛名のキャラは乱戦にめっぽう弱い。
俺がモンスターのヘイトを集めてそのまま榛名になすりつけてやれば、おそらくあいつは為すすべなく沈んでいく。

よし、そうと決まれば善は急げだ。
俺は自キャラの体力をささっと回復し、スタート地点から離脱した。目指すは大型のモンスターだ。

「ヘッドフォンしてるから聞こえてないのかな……」
『おや……逃げるのか甲洋。仕方ない、いたぶってあげよう』
「できるもんならやってみやがれ」
「邪魔したら悪いよね……でも……」

俺も榛名も、一度対人戦に移行したら決着がつくまで全力で戦い抜くタイプである。
奴が俺のキャラを追って安全なスタート地点から出てくるのは想像の通りだった。
幸い、このミッションで本来討伐対象とされているのは遠距離キャラ殺しの超性能ホーミング突進を持つモンスター。榛名の天敵。うまくヘイトをコントロールすれば、俺を追ってきた榛名を見事に轢死させられるはずだ。

「甲洋くーん……あー、やっぱり聞いてない……」
『ほら甲洋。そんな鈍足じゃあ僕からは逃れられないんじゃないのかい?』
「豆鉄砲で俺の体力を削れるかよ」
「……むぅ」

チクチクと背後から榛名の射撃攻撃を受けているが、自キャラの体力に問題はない。
しかし、もうそろそろモンスターを見つけられてもいいはずなのだが。そう思って画面をいじくり回していると、ようやくお目当のモンスターを発見することが出来た。
よし、榛名との距離も問題ない。このままあのモンスターを挑発して超突進を引き出し、榛名になすりつければ、榛名はきっと息絶える。完璧な計画だ。

「甲洋くーん……」
『……ん? あっ、甲洋、まさか君……!』
「ははは! 柳生榛名破れたり!」
「…………もうっ」

今更気づいたか榛名め。……いや、あいつのことだしお互い全部わかった上でのじゃれ合い感は否めないけど。
だが、あの榛名をうまく嵌めてやったぜという楽しい気分のまま、俺はモンスターのヘイトを引くアイテムを使用した。
対象モンスターが雄叫びをあげ、突進の予備動作に入る。
俺はその突進を直前で回避するためにふにょんと気合を入れてコントローラーを握り……え? ふにょん?

一度画面から目を逸らし、右を見る。何もない。左を見る。葉月がいた。

「うえ!? 葉月!?」
『え? 葉月?』

なぜか、俺と同じくソファに腰掛けた葉月が、ぴとっ、と俺にくっついている。
風呂上がりだからかその髪は少し濡れていて、シャンプーとボディソープの爽やかな香りが鼻腔を抜けて行った。

え? いや、なんで? っていうか距離近い! なんでこんなに近いんだ!?
というかさっきのふにょんって俺の左腕が葉月と触れ合ったのかこれは? いつの間に?
ところで葉月のピンク色のパジャマはとてもかわいいが、少し胸元が緩いような気がするのであんまり男子に近寄らないほうがいいと思う!

そんなこんなで混乱している俺をジト目で見ながら、葉月がつまらなそうに口を開く。

「……甲洋くん。いいんだよ、続けても」
「えっ」
「わたしの声に気づかないくらい楽しいんだもんね、ゲーム……」
『おや……修羅場か』

榛名、お前は黙っていろ。
そして葉月のこの物言い。もしかして……。

「……あの、葉月さん。もしかして結構前から話しかけられてました?」
「わりと話しかけたけど、甲洋くんはずーっとゲームに集中してました」

やってしまった。
榛名を倒すことに意識を傾けすぎるあまり葉月の呼びかけをガン無視してしまうとは、痛恨の極みだ。

「ごめん葉月、ちょっと榛名との会話に盛り上がっていたというか……」
『おいおい、僕を引き合いに出すのはやめないか』
「とにかく、悪かった……」

画面上の自キャラがモンスターに轢き殺されているのが見えたけれど、そんなことはどうでもいい。
葉月には笑顔が似合うと、さっき俺は再確認したばかりではないか。彼女をないがしろにして悲しませるなど、あってはならない。
俺は頭を下げ、葉月には謝罪する。最近謝罪してばかりだなと思い、少し自分が情けなくなった。

「あ、こ、甲洋くん、違うの。そんな深刻に考えなくていいのっ」
「え?」
「ちょ、ちょっと拗ねちゃったというか……えと、あの……わたしこそ、ごめんね?」

言って、葉月もまた俺に頭を下げた。
なぜだか二人して頭を下げ合うという謎の光景が出来上がってしまい、妙な沈黙が場に流れる。

『……何をやってるんだ、君達は?』

呆れたような声をかけてくる榛名に対し、俺は返す言葉を持たない。
俺だってなんでこうなってるのかわからないよ。

やがて、俺と葉月はどちらともなく笑い出し、どちらともなく顔を上げた。

「なんだか、おかしいね」
「まったくだ……」
「ただね、甲洋くん……わがままを一つ、言ってもいいかな?」

葉月のわがまま。彼女の口からそんな言葉が出てくるとは。ぜひ聞かせてもらおうじゃないか。
俺は了承の意を込めて頷き、続きを促す視線を向ける。

それを受けて、葉月は俺の頭からヘッドセットを取り外し胸元に抱えた。
そして、俺の耳元に口を寄せ、静かに囁く。

「あのね、甲洋くん。出来ればでいいんだけど。ゲームよりは……わたしを優先してもらいたいかな、って……」
「……え、と」
「な、なんちゃって……あははっ」

そ、そうだよな。なんちゃってですよね! いつもの! かわいいよねこれ! なんちゃってね!

『ああ、はいはい……ご馳走様……』

心底呆れたような榛名の呟きが、なんとも言えない空気に支配された我が家のリビングに溶けて消えていった。
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08:よく言えました、甲洋っ
「……やるか、そろそろ」

春休みも半ばに差し掛かり、そろそろ通学カバンの中に眠る課題たちからのプレッシャーがその色を濃くしてきた時分。
俺はその重圧から逃れるため、そして学生としての本分を全うするため、課題に手をつけることをようやく決めた。

春休みということから、課題の総量自体は多くない。ただ、高校一年生の学習内容を復習するという目的もあるからか、ほぼ全教科に課題が設定されているのが面倒さに拍車をかけていた。
俺にはもったいないくらいに広い自室の床に放り投げられていたカバンから、各教科のワークドリルを取り出す。このワークの問題をノートで解いたのちに提出しろというのが課題なのだ。

俺は適当に数学のワークドリルを選び出し、数学用ノートと共に勉強机の上に広げた。

「えーと、二次関数ね……はいはい……」

さらさらとシャーペンを走らせ、ワークドリルの問題をノートへ書き写す。
設定された数値から頂点を求めて、ピボット打って、グラフを引いて、試しに代入して間違いのないことを確認。
そんな作業を二、三度繰り返した後、俺の心に去来するのは虚しさだった。

「つ、つまらねえ……。葉月はどうしてるんだろう……」

閉じた自室のドアの、その向かいの部屋にいるであろう葉月に思いを馳せる。
真面目な彼女のことだから、課題はもう終わらせているのだろうか。
成績優秀な彼女のことだ。当然集中してパパッと終わらせているんだろうな。

それに比べて俺のなんと集中力のないことか。グラフをちょっと書き上げただけで、もうやる気がだいぶ減退している。
自分で自分の首を締めていることはわかっているのだが、頭と体が別々に動こうとしてしまっていた。

「はぁ……やる気出ない」

誰か俺のやる気スイッチを押してくれないだろうか。
そんな益体もないことを考えながら、俺は机の上に投げていたスマホを手に取り――、

「――ってこれは時間が吸い取られていくやつだ!」

――叫び、スマホをベッドにシュートイン。
いくらやる気が出ないからと言って、スマホに手を伸ばすなど。課題を終わらせようというやつがとっていい行動ではない。その先は破滅しかない。
頭を抱えながら部屋を見回すと、書棚の漫画やらゲーム機やらが無数にうごめく手で俺を堕落へ誘っているかのような錯覚を覚えた。ダメだこの部屋にいたら俺はダメ人間になる。誘惑が多すぎる。

「リビングでやろう……」

リビングには俺を誘惑するものは何もない。自室にいるよりはよっぽど課題の進みも早いだろう。
もしかしたら葉月がテレビを見るためにやってくるかもしれないが、多少の雑音は逆に集中力を高めるとも聞くし、多分大丈夫のはずだ。

そうと決めたら、動くのは早い方がいい。これ以上ここに留まっていては怠惰になるだけだ。
俺はワークドリルとノート、筆箱を抱えながら早足に部屋の出口に向かい、ドアを開け放った。

「あ……甲洋くん」
「葉月」

耳に達したのは、どこか喜色を滲ませながら――と思うのは自惚れだろうか――俺の名を呼ぶ声。
ドアを開けた真正面に、俺と同じタイミングで自室から出てきた葉月がいた。

英字がプリントされたピンクのパーカーと黒のハーフパンツというラフなスタイルの彼女は、小脇に俺と同じくいくつかのワークドリルとノートを抱えている。
ところで、ハーフパンツから伸びる白い生足がとても眩しいですね。いや俺は何を見てるんだ。

「どうしたの?」

動きを止めた俺を怪訝に思ったのか、葉月がこちらを覗き込むように尋ねてくる。甲洋お前この間失敗したばっかだろ。
葉月には「ごめん、なんでもない」と返して取り繕いつつ、俺もまた彼女にある確信を持って尋ねた。

「葉月もリビングで課題やるつもり?」
「うん、部屋にいると集中できなくて」

えへへ、と照れたように笑う葉月。かわいい。

「その様子だと甲洋くんも、だよね?」
「ああ……部屋は誘惑が多すぎる」
「だよねー。それじゃ一緒にやろ、甲洋くん」

葉月はそう一言。そしてにっこり笑う。
へえ。俺のやる気スイッチは外付けだったのか、そうかそうかなるほどね。

なぜか脳内で榛名の口調を真似しながら、俺は自分の内にやる気が迸りつつあるのを強く感じていた。
葉月に誘われただけで、課題をこなすやる気がすごい勢いで上昇して行くようだ。葉月パワーおそるべし。



* * *



「……はい、お疲れ様でした」
「お疲れ様、葉月。色々ありがとう」
「こちらこそ」

葉月パワーおそるべし(二度目)。
リビングに移動したのちテーブルの上にワークドリルとノートを広げた俺たちは、互いの得意分野については教えあいつつ、そうでないところについては協力しながら(といっても葉月は物理に少し苦手意識があるくらいだったが)、ひとつひとつ課題を潰していった。

なんだろうね。男の遺伝子には葉月みたいな可愛い子の前で無様を見せぬよう力を発揮するための本能が刻まれているんだろうか。
ほとんど脇目も振らずに課題に取り組み協力してクリアしていった結果、取り掛かり始めてから三時間ほどで、俺は春休みの課題をほとんど終わらせることに成功したのであった。

「甲洋くん、コーヒー飲む?」
「あ、いいのか? お願いするよ」

課題は終了ということで、これで気兼ねなく春休みを楽しむことができる。
とまあその前に、疲れた頭と腕を休ませるためのコーヒー休憩だ。
葉月のありがたい申し出に感謝しつつ、俺はテーブルの上で乱雑に踊るノート類たちを片付ける。

「葉月、台拭き投げてくれ」
「はーい」

キッチンに立つ葉月が放ってくれた台拭きをキャッチして、テーブルを拭う。
食事ができるレベルの清潔さは確保したな、と頷き、汚れた台拭きを洗うべく俺もまたキッチンへと向かった。

「〜〜♪」
「…………」

キッチンで、機嫌よく鼻歌を歌う葉月をぼんやりと眺める。
ハンドミルで挽かれていくコーヒー豆たちも、葉月みたいな美少女に挽かれるなら本望だろう。葉月ならきっと美味しく淹れてくれるよ。

「……甲洋くん? どうしたの?」

俺がじっと見つめていたことに気づいたのか、ミルを動かす手を止めて葉月が問うてきた。

「いや、どうしたってほどのことでもないんだけど」
「うん?」
「ちょっと今更ながら聞いてみたいことができた」

今まで、流されるようになんとなく認めていたから。
ずっと放置しておいたままだった事柄について踏み込んでみようと、そんなことを少し考えていた。

視線で続きを促す葉月に、俺は出会った当初からずっとスルーしたまま尋ね忘れていた謎を投げかける。

「……なんで葉月が妹で俺が兄貴なんだ?」
「ふふ。聞きたかったのってそれ? 確かに今更かもだね」

軽く吹き出した葉月が、豆挽きを再開しながら俺の問いに答える。

「甲洋くんの誕生日は六月でしょう?」
「ああ……よく知ってるね」

確かに俺の誕生日は六月六日だ。わかりやすく覚えやすいと親友の榛名にも好評である。
だが、葉月がそれを知り得るタイミングなどあっただろうか? よしんば知り得たとして、それを覚えておく理由が彼女にあるのか。
そんなことを思ったけれど、まあ、もう家族なんだし。そういうことなのだろうなと自分で納得する。

「去年、柳生くんと騒いでたのを聞いてたからね。印象深くて」
「あー……なるほどね」

確かに去年の六月六日、朝出会ってもおめでとうの一つも言ってくれない榛名にわざとらしいほどアピールをした記憶がある。葉月の耳にも入っていたのか。恥ずかしい。
その時の榛名は、サプライズでプレゼントをくれようとしていたらしかったのだが、結局俺のあまりのしつこさに途中で我慢ならなくなってプレゼントを投げつけてきたんだったかな。
いい友人を持ったもんである。

「その時は言えなかったけどお誕生日おめでとう。遅くてごめんだけどね」
「いや、嬉しいよ。ありがとう」

わざわざ律儀に祝福してくれる葉月に礼を返して、俺は少し逸れた話題を元に戻した。

「それで、俺の誕生日が六月だとして……葉月はいつなんだ?」
「わたしは九月九日だよ。だからわたしが妹で、甲洋くんがお兄ちゃん」
「そういうことだったのか」

なるほど。それで葉月は妹で、俺が兄ということになるのか。理屈はわかった。
しかし、ちょっとだけ残念な気持ちが芽生えているのもまた事実。

「ふーむ……」
「あれ? もしかして甲洋くん、わたしが姉の方が嬉しかった?」

悪戯めいた笑みを浮かべる葉月。彼女の推論は、あながち間違ってはいない。
姉妹のいない思春期の男子が、姉と妹に憧れるのは至極当然のこと。
俺は幸運に幸運が重なった結果、葉月を義理の妹として迎えることに相成ったわけだから、文句など言おうものなら全国の妹好き男子諸君にブチ殺されてしまうだろうけれども。

けれどもだ。
姉だっていいものだよね。
お姉ちゃんという存在。すでにその響きに包容力が見え隠れしている気がしてならない。
実際に姉がいるやつは「そんないいもんじゃない。現実はひどい」と言って憚らないけれど、それは持つものの戯言だ。

だいたい、姉は自分より先に生まれていないといけないのだ。ひいては妹より得がたい存在と言えるのではないか?

「……葉月は姉でも妹でもどっちもイケると思う……けど」
「けど?」
「姉の葉月も見たかった……かも」

自分の意思を再確認するように静かに言葉を転がすと、隣の葉月が肩を震わせ笑うのがわかった。

「あははっ……甲洋くんって妹よりお姉ちゃん派だったんだ?」
「いや、なんていうか、その、勿体無いっていうか……ええと」

上手いこと説明できないな。なんて言えばいいんだろう。
妹葉月が魅力的であることに異論を挟む余地はないが、そうであるなら姉葉月が魅力的なのもまた否定する要素がないというか、そんな感じだろうか。

「……うん、わかった。わかりました」
「え?」

ぽん、と手を打った葉月が、俺に視線を合わせて笑みを見せる。
相変わらず本当に可愛らしい笑みで、こんな至近距離でこの笑顔を見ることができる自分はどれだけ果報者なのだろうかと思わずにはいられない。

「甲洋(・・)」
「え」

小さく。ぽつりと、葉月が俺の名を呼ぶ。しかしそれは、今までの呼びかけとは意味が異なるもので。

「今日は一日、わたしがお姉ちゃんだよ、甲洋」
「は、葉月……?」

天空橋葉月は快活で、天真爛漫。
俺はずっと彼女のことをそう認識していたし、こうやって深く関わる中でもその印象は全く違えることはなかった。
だけど、今、目の前に立つ彼女は――。

「――だめ。お姉ちゃんって呼びなさい、甲洋」

葉月は、俺が今まで見たことのないほど妖艶な表情で微笑んで。
その白く細い指を、俺の口もとに伸ばしながら、「姉」として振舞って見せるのだ。

「あ、姉貴とかじゃだめですか……」
「お姉ちゃんって言って?」

出来の悪い弟に言い聞かせるように。

「ね、姉ちゃんとか」
「お姉ちゃんじゃなきゃだめ」

意地を張る弟に悲しい顔を見せながら。

「……」
「甲洋」

もう、これ以上抗うのは無理っぽかった。

「あーあ、甲洋は喜んでくれると思ったのになあ。お姉ちゃんは寂しいなー……」

その指で俺の頬をうりうりと突いてくる姉葉月。
俺をからかっているのはわかるが、これはそもそも自分の発言が招いた事態なのだから素直に諦める他ない。

「……………………お姉ちゃん」

どうにかこうにか羞恥心に耐えて、その名を呼ぶ。
……この歳になって「お姉ちゃん」って口に出すことの気恥ずかしさと言ったらないな……。

葉月の方は直視できずに、ちらと様子を伺うように目線を向けると。


「よく言えました、甲洋っ」


年下の弟を褒めるかのように。弾けるような笑顔を見せた葉月を見て。
その可愛らしさと恥ずかしさのあまり、俺の心は死んだ。
07:こ、これが……甲洋くんの……
「……おおう」

 風呂に入る直前のこと。
 俺がそんな感嘆の呟きを漏らしてしまったのは無理のないことだと胸を張って言いたい。

 それが置かれていたのは、風呂場に続く洗面所兼脱衣所に存在する最新型ドラム式洗濯機、その眼前に置かれた洗濯籠のてっぺんだ。
 綺麗に折り畳まれた葉月の服が折り重なって積み上げられ、山をなす洗濯籠のその頂点。かわいい葉月が着こなすかわいい服たちを統べるかの如く、それらの上に鎮座するそれ。
 圧倒的とも呼べる存在感を放つそれを、人はブラジャーと呼んだ。

「…………」

 思わずじっと見つめてしまう。
 女の子の、それも同い年――というか家族のブラを凝視するなど下手すれば家族会議ものではあるが、それでも俺の男としての本能はその威容から視線を逸らすことを許してはくれなかった。
 
 肩紐と、パッドの端にフリルが踊る水色の下着。爽やかな色が快活な葉月にはお似合いだろう。
 昨日はこんな堂々と置かれてはいなかったと記憶しているのだが。

「……って俺は何考えてんだ! 馬鹿!」

 頭を振って、あまりにも俗な想像を脳裏から追い出そうとする。
 しかし、一度目にしてしまったそれは強烈に瞼の裏にこびりついて離れようとはしてくれない。

 俺が風呂に入る前には、葉月が風呂に入っていた。
 従って。当然のことではあるが。
 葉月はこの脱衣所で衣服を脱ぎ、衣服を洗濯籠に入れ、そして浴室へ足を踏み入れたことになる。
 服を着て風呂に入るやつはいないのだから当然の話である。
 
 大事なことだから繰り返させてもらう。葉月は、この脱衣所で衣服と下着を脱いだ。
 一時間ほど前に、葉月は今日一日中身につけていた下着を脱いだのだ。つまり目の前に御坐すこれは、つい先ほどまで葉月が身につけていたものということになる。

 するりするりと、靴下を。スカートを。ブラウスを脱いでいく葉月の姿を幻視する。
 やがて上下ともに下着だけになった彼女は背中に手を回し、ブラのホックを――。

「あああああああああ! 俺は何を考えてるんだ馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!」

 葉月の動きをトレースしかけてしまったところで、俺はようやく正気に返った。

 いま、俺は確実に、踏み越えてはいけないラインを踏み越えかけている。
 葉月は、確かにかわいい女の子だ。だが、それ以前にもはや家族なのだ。
 彼女や彼女の所有物に、下卑た視線を向けることが肯定されるはずはない。俺はそんなことを許せない。
 ……いや、たまにちょっとそういう視線で見ちゃう時がある気もするけど。というか昼間腕に抱きつかれたときとかかなり結構焦ったし危なかったけど。でもここまでじゃない。ここまで変態的な思考に陥ってはいない。

「俺はなにも見なかった。なにも見なかったことにして、大人しく風呂に入ればいいんだよ。入るしかないんだよ」

 自分に言い聞かせるようにしながら、俺はシャツを脱ぐべく裾にその手をかけた。口に出して命じなければ、俺はもう動けない。

 しかし、手をかけただけだ。俺の脳みそは間違いなく、俺の両腕に、今着ているシャツを捲ることを命令している。
 だというのに。体の前でクロスさせられた俺の腕は、その中に鉛でも仕込んだかの如く、あるいは神経が通っていないかの如く、まったくもってぴくりとも動く気配を見せなかった。

 ただ視線は。俺の視界だけは、水色のフリルが眩しいブラを捉え続けている。

「…………」

 あくまで意識は洗濯籠に残したまま、視線を素早く脱衣所のスライドドアに走らせた。
 ドアは半開きで、その先少し遠くから葉月が視聴しているであろう音楽番組のBGMが聞こえてくる。
 今日はお気に入りのアイドルユニットが出てくるので楽しみだと、先ほど葉月が笑顔混じりに語っていたことが思い出される。

 つまり。つまりはだ。
 この時間、今この瞬間、葉月は俺の行動を一切感知しないと言えるのではないだろうか。
 俺がこの脱衣所でなにをしていようと、葉月はそれを一切知ることはない。

 いや、別に変なことをするつもりはまったくないのだ。毛頭ないのだ。
 ただ少し、知的探究心を満たしたいというか。いったいどれだけの大きさなのかなあ、とか。
 そういう、学術的な興味から湧きいずる己のこのパッションを形にしたいっていうかね? まあ、そういうね?

 ……男なんだから素直に言うか。気になるよね、ブラ。
 俺が相当に変態的な思考に陥っているということはよく自覚している。
 しかし、目の前に、葉月のようなかわいい女の子の下着が置かれているのだ。学園のアイドル、あの天空橋葉月のブラだ。
 
 これはむしろ手にとって調べるくらいのことをしなければ逆に失礼にあたるのではないか? 

「いや、しかし……そんなことをして葉月に申し訳ないと思わないのか?」

 人の信頼を得るのは困難だが、それを失うのは一瞬で足りる。
 今まさに、葉月との信頼関係を構築しようとしている最中に。一時の気の迷いでそれを水泡に帰させようと言うのか月守甲洋。

「だが、気になる……とても気になる……。いったいどれほどのファンタジーがそこにあるのか」

 夢か。男の夢が詰まった器が、ちょっと手を伸ばしたそこにある。
 迷うことはない。恐れることはない。掴め、その手に。月守甲洋。

 やめろ俺。止まれ俺。葉月を、陽治さんを、母さんを裏切るのか俺。
 家族になって早々家庭崩壊の危機を招くつもりか。月守甲洋。

 本能が。理性が。俺の中でひしめき合い、渦を巻くようにぐるぐると思考が絡まり合っていく。
 ブラを手に取るか。いやさ、取らないのか。たかだがそれだけ。されどそれだけ。大きな、とても大きな難問を前に俺はついに決断を下す――!



「――――」

 
 
 ……やってしまった。
 崩れ落ちるように脱衣所に膝をつく。しかし、両の手は水色の肩紐を捕らえて離さない。
 俺は結局、自分の本能には勝てなかったのだ。ブラを観察したい欲に、俺は負けた。

「こ、これが、葉月の……」
「……甲洋くん、お風呂長いね。寝てない?」
「……えぁ?」
「あ」



 ……時が、止まった気がした。
 なにも知らない、穢れを知らないであろう、無垢な葉月の声とともに、がらりと半開きだった脱衣所のスライドドアが開け放たれた時。
 
 俺は果たしてどのような顔をしていたのだろう。
 脱衣所にあって服も脱がず、ただ膝立ちで、己のブラジャーを宝物のように眼前に抱える俺の姿を見て、葉月はなにを思ったのだろう。

 少なくとも俺は、膝をつくこの床が割れて、地上五十階から転落したかのような錯覚を覚えた。いやむしろ、なんなら転落したかった。いっそ殺してくれと叫びたかった。

「は、はづ……」
「甲洋くん」

 名前も呼ばせてはくれない。謝罪もさせてはくれない。当然だろう。俺はそれだけのことを仕出かしてしまったのだ。
 ああ、楽しかった。ここ数日間は本当に楽しい日々だった。葉月と少しの間でも同じ屋根の下で暮らせたことは月守甲洋史に残る最高至上の出来事だったと記録してもいいだろう。

 さらば天空橋家、そしてこんにちは留置所。
 俺にもはや抵抗する意思などない。素直に、神妙にお縄につこう。それが誠意というやつだ。

 しかし、葉月の柔らかな唇から紡ぎ出される言葉は俺が想像していたものとは全くベクトルが異なっていて。

「やっぱり甲洋くんも男の子だね。……えっち」

 頬を赤く染めて、葉月はそう言った。

 え? それだけ? 俺を詰らないのか? なんなら俺はこれから出頭するだけの気概すらあるぞ。
 しかし、葉月には俺を責めようとする意思も、弾劾する意思も見受けられない。

「……って、いつまで拝んでるのかなっ、もう。早くお風呂、入っちゃいなよ」
「いや、でも、葉月……」
「わたしは気にしてないよ。見えるところに置いておいたわたしも悪いんだから」

 俺の手からブラを奪い取りつつ、葉月が言う。

 天使か。
 この娘はやっぱり天使だったのか。
 こんな醜い行為に手を染めてしまった俺に、それでもまだこんなに優しい言葉をかけてくれるのか、君は。

 だが、それでも、それでも謝罪だけはしなければならない。
 葉月は許してくれているのだろうけれど、それだけはきっちりとしなければ。

「葉月……本当に申し訳なかった。信頼を裏切る真似をした」

 頭を下げ、真摯に謝る。

「うん、いいよ。許します」
「……ありがとう。こんなことで代わりになるとは思わないけど、それでも、俺に出来ることなら何でもするから」
「……本当?」
「ああ、もちろん」

 力強く頷いてみせる。俺が彼女に返せることは、これくらいしかないのだ。
 
「まだ特にしてほしいこととかはないから、その権利だけはもらっておくね?」
「うん。いつでも言ってくれ」
「わかった。はい、それじゃとっととお風呂に入る入る」

 
 * * *


 先ほどの己の醜態について、俺はお湯に浸かりながらぼんやりと考えていた。
 今後も、自分の理性を試される局面は幾度となく出てくるのだろう。

 今回は葉月の優しさに救われた。だが、こんなことを繰り返していては、葉月に嫌われるのは確実だ。
 もっと自分を強く持たなくては。本能に、己の獣慾に負けない確固たる自分を貫き通そう。

「……今までに築いたちょっとの信頼は無くなったかもしれないな」

 そう考えると少しブルーになるが、全ては己が招いたこと。自業自得だ。
 葉月が許してくれたという最大限の幸福に精一杯感謝し、もう一度ゼロから信頼を積み直そう。

「よし……そろそろ上がるか」

 独り呟き、バスタブから立ち上がる。
 今晩、またゼロからスタートすると思おう。
 次こそは失敗しないように。弱い自分に負けないように頑張ろう。
 
 そんなことを考えながら、俺は浴室のドアを開ける。

 


 そして、その視界に飛び込んで来たのは。予想を超えた光景であった。




「こ、これが……甲洋くんの……ぱ、ぱんつ……」



 
 俺が風呂に入るのを見届けたのち、リビングへ戻って行ったはずの葉月がなぜか脱衣所にいたのである。
 しかも、どこかで見たようなポーズ――つまりは膝立ちで、目の前に俺のトランクスを抱えるような形――を取って。

 ……明らかに、俺の下着を観察していた。

「あの、葉月さん?」
「……えっ!?」

 目を疑うような光景に、俺は自分の下半身を隠すことすら忘れて、呆然と彼女に声をかけるだけだった。
 俺の掛け声を受けた葉月は目を瞬かせ、そして己が何をしているのかを理解する。

「あっ! こ、これは……そのっ、そう、あの、えっと、つまりね甲洋くん!」

 ああ、なんというか、人って自分のキャパシティを超える事態が起こると冷静になれるんだな、って感じだ。
 なんで葉月が俺のトランクスを抱えてるのか全然意味がわからないけれど、意味がわからなすぎるゆえに冷静になれる。

「あ、あの……その……。わ、わたしも……えっちだったということかな……なんて……」

 これは、俺は何と答えれば良いのだろうか……。

 俺も葉月も、互いにかける言葉がなかった。ただひたすら、脱衣所には静寂が訪れる。

「…………甲洋くん」
「なんでしょうか……」
「さっきの権利……使ってもいい? ……ごめんなさい。許してください」
「はい。許します……」
 
 まあ、元より、俺に葉月を許す以外の選択肢はないんだが。
 

 のちに「互いの下着ガン見事件」と呼ばれるこの騒動は、俺たち二人だけの秘密として胸の内深くに仕舞われることとなったのであった……。
06:はい、葉月って呼ぼうねっ
「て、天空橋……ち、近い」

 葉月に左腕を取られてから、十分は経過しているだろうか。
 シャツの生地越しとはいえ、葉月の腕の柔らかさと、いつだって主張を忘れないその双丘が返してくる弾力とが俺の正常な思考力を奪っていくような気がしている。というか既にだいぶ奪われている。ぽよんむにょんって感じだ。いや俺は何言ってんの。
 それに距離が違いぶんダイレクトに葉月の女の子らしいふんわりと甘い香りも漂ってきて……あああああ!

 俺が葉月の攻撃(そんな意図はないのかもしれないがそう言わせてもらいたい)に必死に耐えながらどうに言葉をひり出すと、左隣の彼女は俺を見上げるようにしながら不満げに言った。

「あー、また天空橋って言った」
「いや、だって……名前で呼ぶのは二人きりの時だろ?」

 俺が葉月を名前で呼ぶのも、彼女が俺を甲洋と呼ぶのも、二人きりのときのみという条件を今朝決めたばかりのはずだ。
 対してここはモール。人もいっぱいいる。二人きりという条件は満たさない。よって名前で呼び合うのは禁止! 証明終了!

「何言ってるの甲洋くん。二人きりじゃない?」

 どうやら二人きりというシチュエーションについて俺と葉月の間には認識の相違があるらしかった。

「……それって家の時とかじゃなくて?」
「いまは二人きりで出かけてるでしょう?」
「まあ、そうだけど」
「じゃあ二人きりだよね。はい、葉月って呼ぼうねっ」

 葉月はそう言ってにっこり笑う。
 口元は確かに笑みを浮かべているのだが、瞳は笑っていませんね? 有無を言わさないやつですねこれは。

「わかった、葉月に戻す。でも流石に腕は離してほしいなぁ、なんて……」
「えー。なんで?」
「……誤解を恐れずに言えば、色々と柔らかくて良い香りがして正常な判断が出来なくなりそうだからです」
「あははっ、仕方ないなあもう」

 俺の実感の篭った言葉に、葉月は可愛らしく嘆息した。そして、今まで抱きしめていた俺の腕を解放してくれる。
 その温もりが一気に遠ざかっていくことに少しだけ名残惜しい気持ちを覚えてしまうあたり、俺は己の業の深さを感じずにはおられない。

「ありがとう。助かった」
「どういたしまして。……確かにここで正常な判断をなくしたらまずいよね、うんうん」

 葉月は一人で納得したのかそう呟き頷いているが、場所は関係なしに正常な判断をなくしたらまずいと思うんですけど。

「じゃあ、この話はここで終わり。お買い物の続きしよっか、甲洋くん」
「ああ。どこまでもお付き合いさせていただきます」
「苦しゅうない。……なんちゃってー」

 はい、今日のなんちゃっていただきました。かわいいですよね、葉月のこれ。


 * * *

 葉月はモールを満喫し、俺はわりと疲れ果て。
 ともに出入り口に向かった時、一人の少年と出会った。

「意外な取り合わせだな」

 静かに呟いたのはすらりとした細身の男。
 短く切り揃えられた黒髪は濡羽色で、その下にある切れ長の瞳が俺と葉月の二人を捉えていた。
 その顔は端正で、確かに男性なのだが同時に女性的な美しさも兼ね備えた中性的な容貌をしている。
 
 天空橋葉月が学園のアイドル女性版だとするならば、この少年はその対のような存在と言えるだろう。
 ――柳生(やなぎう)榛名(はるな)。俺の親友がそこにいた。

「榛名。どうしたんだ?」
「それは僕の台詞だよ。まさか甲洋が天空橋とデートとはね」

 ふふん、と鼻を鳴らして榛名がクールに笑う。口の端を少しだけ釣り上げるのがポイントよね! 嘲られたい! とクラスの女子が騒いでいたのを耳にしたことがある。俺はしょっちゅう笑われてるけど羨ましいか?
 
「訂正しておくけど、デートじゃないぞ」

 榛名にそう返したら、脇腹を軽く小突かれた。当然隣の葉月が下手人だ。
 これはデートじゃなくて買い物なんです。そう思い込まないとダメなんです。俺の精神安定上。

「無理がある。それで、どっちが誘ったんだい?」

 随分と楽しそうだなこいつ。あー、しかしどうしよっかな。
 正直なところ、榛名にこうしてばったり出会ってしまったことについて、俺は全く焦りを感じていなかった。
 それは、俺から榛名への信頼の証と言い換えてもいい。

「なあ、天空橋」
「うん」

 言って隣の葉月に視線を向けると、「任せるよ」とばかりに頷かれた。
 葉月のこういう、他者への理解度が深いところは本当に素敵だと思う。


 結局、俺と葉月が義理のきょうだいになったことは遅かれ早かれ露見することではある。
 学校という狭いコミュニティに二人とも籍を置いている以上、どうあっても避けられないのは事実。

 その時までたった二人きりで秘密を隠し通すか。それとも信頼できる人間に先に伝えておき、さりげないフォローを期待するか。
 二つに一つ。俺が選んだのは後者だった。

「榛名、お前を親友と見込んで伝えておきたいことがある」
「改まってなんだ?」
「俺と天空橋はついこの間、親の再婚で家族になった。ついでに言うと同じ家に住んでる」
「へえ! それはそれは……」

 榛名は俺の言葉に一瞬目を見開いたが、すぐに元に戻ってくつくつとその喉を鳴らした。こいつ本当に楽しそうに笑いやがる。

「当分の間は隠しておこうと思うんだ。だけど、お前には言っておく」
「隠すのは賢明だろうな。僕に話したことについても意図はわかる。君は友達が僕しかいないものな」
「それはお前も同じだろうが」

 俺と榛名は中学時代からの親友であり、高校に進学しても二人でいることがほとんどだった。
 運良くクラスが同じだったし、二人とも積極的に友人を作りに行く性格ではなかったし、榛名は女子人気が高いぶん男子からは若干煙たがられていたし、てな具合だ。
 それで不自由はしなかったし、こいつと遊ぶのはいつだって楽しいのでそれはそれでいいものだと思っている。

「何はともあれ、おめでとうと言っておくよ甲洋」
「あ? なんでおめでとう?」
「今までずっと影が薄かった君も注目の的間違いなし。これを祝福せずにおられようか?」
「ちくしょう、他人事だからって!」

 こいつ本当にいい性格してやがるよなあ! 
 ここは何か気の利いた皮肉でも返してやらねば。うーんでもうまいこと思い浮かばねえ。


 と、俺がそんな風にうんうん唸っている間、葉月と榛名は二人で何かを話しているのだった。


「君にもおめでとうと言っておくよ天空橋」
「うん、ありがとう柳生くん」
「……しかし、当事者でない僕が気付いているのになんで甲洋は気付かないんだろうな」
「あはは……」
「まあいいか。これ以上邪魔するのも酷だ。僕は行くよ」




「おい榛名! ……ってあれ? 榛名は?」
「柳生くんならもう行っちゃったよ?」

 ちくしょう。クラス替えで同じクラスになれなくても泣くなよとでも返してやろうと思ったのに、もういなくなりやがって。
 いや待てよ。あいつと同じクラスにならなかったらより辛いのはひょっとして俺の方では? 
 時折聞こえてくる俺の人物評に「柳生榛名の金魚の糞」とかあるからな……。同じ魚介類で例えるならイソギンチャクとクマノミだと思ってほしいものだ。

 まあそんな詮無いことを考えていてもしょうがない。
 榛名に伝えたいことは伝えたし、今日はとりあえず帰ろう。
 そう思って葉月の方を見ると、彼女は不服そうな面持ちで俺を見つめていた。
 解せぬ。

「……えっと葉月さん? 榛名にバラしちゃダメでした?」
「ううん、それは全然構わないよ。というかわたしは早めに言ったほうがいいと思ってるし」
「そ、そっか、でもそれは勘弁かなー……で、なぜそのように頬を膨らませておられるのですか?」

 恐る恐るといった具合に問うと、葉月は鋭く一言。

「天空橋」
「え?」
「柳生くんの前で天空橋って言った」

 いやまあ確かに言ったけど。そんなにおかしいか? 二人きりという条件からは外れるよな? 外れない?

「あと、柳生くんのこと下の名前で呼んでたよね?」
「まあそれは……あいつは親友だしね」
「わたしは「天空橋」だけど、柳生くんは「はるな」って呼んだでしょ?」
「まあ、そうですね……」
「……家族のわたしは苗字で呼ぶのに、他の女の子を名前で呼んでるみたいだなーって。それだけ」

 言い切って、ぷくーっと頬を膨らませる葉月。ちょっと拗ねてる。
 ……待ってくれ葉月さん。きみは、俺に何回葉月かわいいを言わせれば気がすむのかな?


 なんとか宥めすかした結果、自宅に戻るころには葉月の機嫌は戻っていたのだけれど。
 俺は今度から榛名の前でだけは、このかわいらしい同級生を「葉月」と呼ぶことを決めたのであった。
05:待たせてごめんね、お兄ちゃん?
「……これはひょっとしてピンチなのでは?」

 俺は今、最寄駅の駅前広場に置かれたベンチに腰掛け、行き交う人々をぼんやりと見つめていた。
 月曜日の昼過ぎなので、さほど人通りが多いわけではない。ただ学生は春休みの時期なので、若い子がちらほら見える。
 多分その中には、俺と同じ東明高校の生徒たちもいるのだろう。……うん、ピンチだな。

 一体全体何がピンチなのか。その答えは一時間ほど前に遡るーー。



「甲洋くん、今日の予定は何かある?」

 天空橋……ではなく、葉月(二人きりの時はこう呼べというがこれがめっぽう恥ずかしい)謹製の朝食をいただき、コーヒーブレイクを楽しんだ後のこと。
 洗練されたシステムキッチンのシンクで食器洗いを堪能していた俺に、葉月がそう問うてきた。

 彼女の問いを受けて今日の予定に思いを巡らせるも、悲しいかな特に用事はない。
 あえて言うならば春休みの課題をこなさないといけないくらいだろうか。

「課題やるくらいかな」
「あ。わたしもやらないと」

 素直に葉月に答えると、彼女もまたその厄介な存在を思い出したのか静かにため息をついた。
 少し意外だ。葉月のような優等生でも課題が嫌なんだな。まあ好きな学生なんていないかもしれないけど。

「最近バタバタしてたから全然手をつけてないや。でもそれは夜でいいとして」
「うん?」
「甲洋くん、今日の予定はないんだね?」
「ないな」

 言ってて悲しくなるけど、ないものはない。
 そして、俺の返答を聞いた葉月はにっこり笑ってこう言った。

「それじゃ、お買い物に行こうよ」



 以上が俺が今現在見舞われているピンチの簡単なあらましである。
 つまり、なぜか俺は葉月とお出かけすることになった。当然二人きりでだ。
 これはひょっとしなくてもデートとかいうやつなのでは? という不遜な考えが脳裏をチラついたが、嫉妬に狂って血走った瞳をこちらに向けてくる天空橋ファンクラブとかいう不遜な輩を幻視したのでその考えには蓋をしておくことにした。

 そもそも俺たちは義理のきょうだいであり、ただの男女とはわけが違う。ここは明確に線引きをしておかねばならない。
 葉月が気安く話しかけてくれるのはきっと、新しい家族への不安の裏返しもあるのだと思う。
 いきなり同い年の男が家族になると言われて、不安にならない女子はいないだろうし。
 言い方は悪いが、彼女の言動には多少なりとも俺を推し量る意図が混じっているだろう。
 だから、俺は彼女が不安を覚えないように立ち振舞わねばならないと思うのだ。

 それに、葉月に嫌われたくないというのは俺の本音でもある。


「……しかし、買い物行くんなら一緒に家を出ればよかったのでは?」

 葉月からの提案を了承し、買い物に行くと決めたあと、俺はてっきり一緒に家を出るものと思っていたのだが。
「それじゃあ、十三時に駅前広場に集合ねっ」という葉月の有無を言わせぬ一言により、家の外で待ち合わせることになった次第だ。
 スマホに視線を落とすと、集合時間まではあと五分ほどになっていた。ちなみに俺がここに到着してから十五分は経っている。
 
 まあ、女子は一歩家の外に出るにしたって何かと準備が必要なのだと親友が言っていたので、きっとそういうことなのだろう。
 果たして葉月は気合を入れた服装で来てしまうのだろうか。少し楽しみだが、少し不安だった。
 葉月は間違いなく耳目を集める。集めたその視線の中に天空橋信者がいたらマジでどうしよう。

「新学期から学校に居場所がなくなるんじゃ……?」
「……甲洋くん、お待たせっ」
「えっ?」

 ありえそうな未来に頭を抱えていた俺の頭上から、ここ数日間の中で相当に聞き慣れた声が届く。言うまでもなく葉月だ。
 視線を上げると、微笑む学園のアイドル兼我がきょうだいの姿が視界に映る。

「何か考え事?」
「あ、ああ……」

 不躾にならない程度に、葉月の全身像を確認する。
 リボンタイ付きの白いブラウスにスキニーパンツを合わせたシンプルな装いだ。
 派手すぎず、むしろ上品な着こなしが、葉月という最良の素材とよく調和している。

「ごめんね、待たせちゃって」
「いや……大したこっちゃない」
「ふふっ、ありがと」

 小さく笑う葉月は、それはそれは可愛らしくて。
 俺は思わず見惚れそうになるのと同時、周囲の男どもからの少しの敵意が混じった視線に晒されて肝を冷やすことになった。
 そりゃこんな美少女と待ち合わせしてる相手の男がどんな野郎か気になるわな。俺だって気になるよ。

「……とりあえず、行こうか」
「うん。そうしよ」
「……あー、それと、えー……」
「なあに?」

 言い淀む俺の顔を見て首を傾げる葉月だったが、その唇は楽しそうに弧を描いている。
 ちくしょう、この娘は何もかもわかっているな。……だが、ここで言わないのは流石に男の沽券にかかわる。だから言う。腹をくくれ月守甲洋。

「……いつも可愛いけど、その服、すごく似合ってて可愛い」
「いつ……あ、あはは、ありがとっ」

 ……あれ?
 今までの経験からすると「よくできました」くらい言ってくるんじゃないかと思っていたのだが。
 くるりと俺の視線から逃れるように背を向けた葉月は、なぜか「さあ、行こうっ」と妙に早足早口で俺を急かすのだった。

「……ん? 待てよ? そもそも買い物ってどこ行くんだ?」 
「え? モールだよ?」

 あ、スーパーで食材買うとかそういうんじゃなかったんですね。
 ……本格的にデートじゃないのこれみたいな幻聴が聞こえてきたが、無視に限った。


 * * *


 葉月が目的とするモールは、駅のバス停から無料シャトルバスに揺られて十分ほどの距離にある。
 様々な専門店街に加え、映画館やゲーセンなども併設されている地元で一番大きい商業施設だ。
 つまり、このモールに来れば大抵の遊びを楽しめる。ということは即ち、地元の学生たちが遊ぶために繰り出す場所はここになる。

 さて、ここまで言えばわかるだろうか。
 要するに、俺の危惧していた事態が早速起ころうとしているのだ。

 モールに到着してから二時間ほど。女子という生き物が買い物に相当な時間をかけるという噂が真実であることを、俺は身をもって知った。
 親友とモールに来るときは大抵映画かゲーセン、あとフードコートでの食事目当てなので、最短最速のルートを突き進むことになる。
 が、葉月は違った。というか女子は違うんでしょうね。一つの店を見たと思ったらすぐ隣の店にも入って商品をじっくり観察。買うのかな、と思ったら買わずに出て次の店。そんなのを延々繰り返すのだ。
 文句の一つも言いたいところではあったが、楽しそうに商品を眺める葉月を見ていると、ウィンドウショッピングを楽しんでいるところに水を差すのもなんだなあという気持ちになってしまう。
 それに、「甲洋くん、これ可愛いと思わない?」と問われる度に葉月の方が可愛いと答えたい欲に抗うのに必死だった。

 というわけで俺は葉月の買い物に付き従っていたのだが。トイレのために少し彼女のそばを離れたところで――、

 
「あれ? 天空橋ちゃん」
「天空橋?」

(……っつおおお! あぶねえ!)

 ――これである。
 一人でアクセサリーショップのワゴンを眺めていた葉月に、見たことのある男子二人が声をかけていた。
 咄嗟の判断で隣の服屋に逃げ込めたのが救いだ。服を眺めるふりをしながら、隣の会話に意識を向ける。

 葉月に声をかけていたのは、見たことはあるが名前は知らない男子だった。だが、多分同じ学年だったはずだ。
 一人は金髪の優男で、もう片方はスポーツ刈りのイケメン。前者が女子に人気があるタイプなら、後者は男子に人気があるタイプに見える。

「……あ。山名(やまな)くん。川藤(かわとう)くん。奇遇だね」

 二人に声をかけられたことに気づいた葉月が、にこやかに返答する。やはり葉月は誰にでも人当たりがいい。
 その態度は当然のことながら俺に対してのものとも等しくて、そこに少し安心すると共にちょっとだけ寂しくも感じた。
 ……いやいやいや、この数日でもう独占欲出しちゃいますか月守甲洋。しっかりしろ。

「いやー、ほんと奇遇だね。ってか天空橋ちゃんに会えるなんてラッキーだわおれ」

 山名と呼ばれた金髪の優男がテンション高めにまくし立てた。
 よくあの葉月相手にすらすら言葉が出るなといっそ尊敬してしまうくらいだ。

「そう?」
「そうそう絶対そう。つーか川藤もなんか喋れよな」
「いや……まあ」

 あ、川藤くんと呼ばれたスポーツ刈りは照れてるな。その気持ちはよくわかる。
 こんな休日に葉月に偶然出会ったら照れちゃうよな、わかるわかる。
 俺が勝手に川藤くんにシンパシーを感じている間に、山名くんはテンションアゲアゲのまま話を続けていた。

「ったく、こいつ照れ屋だからなあ。それよか天空橋ちゃん今一人なん?」
「え?」
「もしそうなら一緒に買い物しない? ねね、どう?」

 山名くん、きみマジですごいな! よくあの葉月をそんな簡単にデートに誘えるな!
 俺は天空橋ファンクラブが恐ろしくて仕方がないっていうのに。もし見られてたらどうするつもりなんだ……。
 いや、それは俺にも言えることなんだけど。

 そんなことを考えつつ、俺は葉月がどう回答するのか気になって耳をそばだてた。
 俺と葉月の関係は当分の間秘密にしてほしいと、彼女によく言って聞かせてある。
 多分山名くんの誘いを断るとは思うのだけれど、それをどう断るのか俺にはちょっと想像がつかなかったのだ。

「ごめんね、山名くん。実はいまわたし、デート中なんだ」
「えっ」
「……!?」
「はぁ!?」

 予想だにしなかった、というか山名くんの誘いにど真ん中ストレートな返答を返す葉月に思わず声を上げてしまった。
 隣の店から聞こえてきた声に件の三人が不審げな視線を向けてきたので、俺はそそくさと店の奥に退避する。山名くんと川藤くんに顔は見られていないはずだが、多分葉月にはバレている気がする。

「で、デートって誰と? 天空橋ちゃん、今までそんな噂なかったじゃん?」
「そうだな……」

 山名くんは葉月のデート相手が気になるのかめちゃめちゃ前のめりに質問している。
 一方の川藤くんはこれちょっとショック受けてるな。なんだか申し訳ない気持ちになる。
 いや別に俺が葉月のデート相手というわけじゃないんですけども。というかこれはデートじゃないはずなんですけども。

 そんな男どもの心中を知ってか知らずか、葉月はさらに楽しそうに続ける。

「実はね、お兄ちゃんとデートなんだ」
「へ……?」
「おにい、ちゃん?」

 内緒だよ、と微笑む葉月をチラ見して、俺は軽く呻いた。
 確かに葉月は核心には触れてない。というか、真実しか語っていない。いやデートは真実じゃないけど。
 だけど、核心には触れてないけども、それって全部がバレたときに厄介なやつじゃありませんかね?

「ごめんね。お兄ちゃんが待ってるみたいだから、わたしはそろそろ失礼するね」
「あ、うん……」
「お、おう」
「二人とも、また新学期にね」

 ひらひら、と山名くんと川藤くんの二人に手を振った葉月の姿を確認し、俺は彼らに背を向けるようにして服屋を出た。
 このまま彼らの視界に入らないところで葉月と合流できればいいだろう。
 ――そう考えていた俺の左腕に、するりと何かが巻きついてくる。

 白くて細くて。柔らかい何か。
 ……油が長らく挿されていない歯車のように軋む首を少し回し、左隣を見る。

「……待たせてごめんね、お兄ちゃん?」

 ああやっぱずっと見てたの全部バレてる。
 唇を少し尖らせた葉月(いもうと)に、俺はただ「ごめんなさい」と謝るほかなかった。
04:葉月って呼んで?
「……知らない天井だ」

 視界が一面に捉えたのは、シミがちらほら見え隠れする月守家の見慣れた天井ではなかった。
 全面が真っ白で真っさら、新品と見まごう壁紙が全面に走る綺麗な天井だ。

 天空橋家――もとい、新生天空橋家に、俺たち月守の二人が引っ越してきて初日の朝。
 今までに経験したことがないほど寝心地のいいベッドに背中を預けながら、俺は目を覚ました。

 枕元のスマートフォンを確認する。月曜日、朝の七時半。
 春休みはまだまだ始まったばかりだから二度寝を決め込むこともできるが、なんとなくそんな気分ではなかった。
 それはきっと、いよいよ昨日から俺の新しい生活がスタートしたからだろう。

「よっと……」

 勢いよく体を起こし、ベッドから飛び降りる。
 そしてぐるりと自室を見回し、感嘆のため息をつく。

「部屋、広っ」

 昨日、初めて新たな我が家に立ち入ったときから思ってはいたけれど。
 部屋がとにかく広いのだ。かつての俺の部屋と比べて、二、三倍はあるのではないだろうか。
 驚くべきはその広さだけではない。窓から覗く視界の高さもあった。
 なんたって地上50階だ。今までと住む世界が違うんですけど。ははっ、乾いた笑いしか出てこんな。

「……天空橋って本当にお嬢様なんだなぁ」

 学校でも天空橋はいいところのお嬢様だという噂がまことしやかに囁かれていたが、その噂は真実だったようだ。
 まあ、期せずして俺もその一員に組み込まれることになったわけだが。

「天空橋にも陽治さんにも迷惑かけないようにしないとなぁ」

 これからの生活に若干不安を抱えつつ、俺は自室を後にした。

 俺の部屋を出ると、廊下を挟んですぐ向かいに天空橋の部屋がある。
 ぴしりと閉じられた木製のドアに、「はづき」のネームプレートが踊っていた。なぜかひらがなだがかわいい。
 天空橋はまだ寝ているのだろうか? 
 陽治さんと母は昨日少し家に顔を出したが、今日も仕事だと言っていた。
 ゆえに、この家には俺と天空橋が二人きりだ。なんだか少し緊張する。
 まあ、二人きりのシチュエーションは当分の間続くのだが。……俺の理性は保つだろうか。保たないとやばいけど。

 そんなことを考えながら歩を進め、やがてリビングにたどり着く。
 これまた信じられないほどに広いリビングで、置いてあるテーブルやらソファやらは華美すぎずいかにも高級そうな雰囲気をビンビンに醸し出していた。
  ザ・上流階級のおうちとでも言おうか。マジで場違いな気がするよ俺。

「……あっ。おはよう、月守くんっ」

 ぼけーっとソファを見ていると、鈴の音を転がしたような声が耳に届いた。
 視線を巡らせると、リビングの一角に拵えられたシステムキッチンに立つ天空橋の姿が目に入る。
 どうやらとっくに起床していたらしい。恐らくは部屋着だろうと思われるふわふわのパーカーがかわいい。

「おはよう、天空橋」

 あんまりジロジロ見るのも悪いだろうと思い、俺は視線をリビングの調度品類に向けながら挨拶を返した。
 つーかテレビでかいな。何インチあるんだこれ。この大きさでゲームやったらめっちゃ迫力ありそう。

「うん、おはよっ。いま朝ごはん作ってるから顔洗ってきなよ」
「え。朝ごはん?」
「うん、朝ごはん」
「作ってくれてるの?」
「うん。おかしいかなあ?」

 天空橋は不思議そうな声を上げる。いや、おかしくはない。おかしくはないのだが。
 まさか朝ごはんまで作ってくれているとは。どれだけいい娘なんだ天空橋葉月。惚れちまうぞ。

 ……いや、今のは冗談でもよくないな。天空橋はもうきょうだいなんだから。しっかりしろ俺。

「……顔洗ってきます」
「うん、いってらっしゃい」

 天空橋は笑顔で手を振ってくれた。おいおいなんだこの娘は天使ですか?

 * * *

 天空橋が作ってくれた朝ごはんは甘くてふわふわでとても美味しいフレンチトーストで、俺は寝起きだというのに軽く二枚半ほど平らげてしまった。
 天空橋が食後のコーヒーを淹れてくれると言ったが流石にそれは押し留め、俺が淹れることにする。
 コーヒー豆やらコーヒーメーカーやらも常備されてるし、この家にないものはないんじゃないだろうか。

「天空橋ってずっとこの家で暮らしてるのか?」

 コーヒーが落ちるまでの間手持ち無沙汰になり、俺はなんとなく気になったことを聞いてみることにした。
 天空橋の人当たりのよさもあって今やなんの問題もなく会話できているが、もともと俺と彼女の接点はゼロに等しいのだ。
 家族になった以上、こうして少しずつお互いのことを知っていければいいと思う。

「うん、そうだよ。でもこの家にひとりでいる時間の方が長いかも」
「そうか……まあ、それは俺も同じだろうなあ」
「だよね。お父さんたち忙しそうだもん」

 天空橋がくすりと笑みを漏らす。

「それにしても、お父さんの秘書さんが月守くんのお母さんだなんてね」
「世間って狭いよな」
「ね」

 二人顔を見合わせて笑う。少し恥ずかしいが、なんだかちょっと幸せな気分だ。
 
 そんな話をしているうちに、コーヒーは落ち切ったらしい。
 二人ぶんのマグカップにコーヒーを注ぎ、チェアに腰掛けている天空橋の元へ運ぶ。

「お待たせ」
「ありがとう、月守くん」
「おう」

 短く返しながら天空橋の向かいに俺も座り、そしてふと脳裏に浮かんだ疑問について尋ねてみることにした。

「そういえば……俺らってきょうだいになったんだよな?」
「もちろん。お兄ちゃんって呼んでほしい?」
「心臓に悪いからそれはパス」

 えー、と唇を尖らせる天空橋(かわいい)はスルーするして俺はさらに続けた。
 
「俺の苗字ってどうなるんだろな?」

 疑問はそこだ。
 陽治さんと天空橋の苗字は変わらないだろうが、月守だった俺らはどうなるのだろう?
 母は再婚したわけだし天空橋洋子になるのだろうとは思うが、俺は月守甲洋のままなのか、天空橋甲洋になるのか。どちらなのだろう。

「月守くんはどっちがいいの?」
「正直に言うと」
「正直に言うと?」
「天空橋甲洋は勘弁願いたい」
「ええっ、なんで!?」

 がたっ、とチェアから立ち上がり、天空橋が鋭く問うた。
 なぜ。なぜと問いますか天空橋さん。答えはあなた自身にあるのですよ。

「天空橋葉月さん。君はご自身の人気を理解していますか?」
「え? 人気?」
「いや、簡単に言うとさ、俺がいきなり天空橋甲洋になったら周りが黙っちゃいないだろ? なんたって学園のアイドルと同じ苗字だぜ?」
「わたしそんな大それたものじゃないけどなぁ……」

 いや、大それたものだよ。少なくともこの数日間で俺は身をもって知ったよ。
 まあ、それはともかくとして、俺の懸念は決して誇張でもなんでもないはずだ。

「学校で一番人気の女子と苗字が同じ。聞けば義理のきょうだい。しかも同棲している。……そんなんが露見したら嫉妬に狂った男子に殺さねかねん」
「またまたぁ」

 いや、これは本当にマジな話。
 クラスの男子で天空橋との距離を縮めたいと願わなかった奴は、あるひとりを除いていなかったはずだ。
 それに天空橋が彼氏を持っていないとか、誰それに告白されたとかいう情報がいつの間にか学校中を駆け巡ってたからね。
 そんな天空橋信者に俺の現状が知れたらと思うと恐ろしい。……ていうか今まで深く考えてなかったけどいろいろとやべえんじゃねえのか俺!?

「学校が始まる前にお互いのスタンスというか距離感について相談しないとダメかも」
「いろいろ面倒だね。……ところで月守……じゃなかった甲洋くん」
「なんで言い直す?」
「きょうだいですから」

 ふふん、と鼻を鳴らす天空橋。理由になっていないけれど、その態度はなんかかわいい。

「きょうだいになった……というより、家族になったのにわたしのこと苗字で呼ぶのはおかしいと思います」
「えぇ……?」
「わたしも甲洋くんって呼ぶから、葉月って呼んで?」
「いや、それは無理だ」

 俺は一も二もなく拒絶した。
 天空橋を下の名前で呼ぶ、だと?
 そんなことしてみろ、天空橋ファンクラブの輩に八つ裂きにされかねんぞ。
 というか天空橋が俺のことを名前で呼ぶのも正直よろしくないんだが。

「呼んで?」
「呼びません」
「呼んでくれるよね、甲洋くん?」

 ずずいっ、とこちらに詰め寄る天空橋。
 美少女が距離を詰めてくる、そんな状況に思わず仰け反りそうになる。ちょっと気恥ずかしくて直視できないっていうか。

「……呼んでくれなかったらずっとお兄ちゃんって呼ぶよ。学校でも呼んじゃうよ? いいのかなあ?」
「それはやめて」

 なんて恐ろしい脅迫をしてくるんだこの娘は! 天使だと思ってたけど堕天使だったみたいだな!

「じゃあ、はい。いってみよう」
「いや、あのさ、でも」
「お兄ちゃん?」

 にこやかに微笑んでいるけれど。その目は笑っていないような気がしますね? 
 そこのところどうなんでしょう天空橋さん。


 結局、名前で呼ぶ呼ばないの問答を一時間ほど繰り返し。
 俺たちは、二人きりの時は下の名前で呼びあうという妥協案に落ち着いたのであった。

「それじゃあ呼んでみて?」
「……葉月」
「まだ照れがあるね?」
「追い討ちはやめてくれ……」
「ごめんごめん。……甲洋くん」
「……なんだ?」
「呼んでみただけだよっ」

 ……男子の心をくすぐり続けないと気が済まないのかな、この娘は?
02:よろしくね、甲洋お兄ちゃん
「今日から家族なんだから、仲良くしようよ」

 天空橋葉月の告白。
 体育館裏に俺を呼び出した彼女の口から飛び出した言葉は、俺を混乱させるのに十分すぎるほどの効果を発揮していた。
 
 俺、月守甲洋に家族と呼べる存在は一人しかいない。母親の月守洋子である。
 俺が物心つく前に父と離婚した母は、女手一つで俺をここまで育て上げてくれた人物だ。

 まあ、俺の母親についてはいまは一旦置いて状況を整理しよう。
 誰と誰が家族になるって?
 ええっと……今日から家族になるんだから、と天空橋が言った。
 誰に対してか。彼女の眼前に立つ男……つまりは俺にだな。
 従って、天空橋の言葉を読み解くと、「わたし(天空橋葉月)と、きみ(月守甲洋)は今日から家族なんだから、仲良くしようよ」と言っていることになるな。うん。

 ……うん?

「か、家族ってどういうことですか天空橋さん?」
「ふふっ、なんで敬語なの?」

 心底可笑しそうに口元を押さえて笑う天空橋。だが突っ込むところはそこだろうか? 
 それよりもっと重要なことがあると思うんですけど。

「いや、ごめん、ちょっと思考が追いついていないっていうか……どうして俺と君が家族だよ?」
「言い回しもおかしくなってるね。ちょっと落ち着こう月守くん……じゃなかった、お兄ちゃんっ」
「お、おにっ……!?」
「あ、逆効果だった……ごめんごめん、落ち着いて甲洋くん」
「こ、こうっ……!?」
「これもダメなの!?」

 繰り返すが天空橋葉月は学園のアイドルである。所謂高嶺の花である。
 そんな遠い存在からお兄ちゃんと呼ばれたり下の名前で呼ばれたりなどしてしまって、一般的な男子高校生である俺がその破壊力に耐えられようものだろうか。いや、耐えられない。
 いよいよもって挙動不審になる俺を見て、天空橋が何をか思案するように視線を宙に彷徨わせた。
 ちなみに指を頬に当てて考え込む仕草がとても可愛らしい。天空橋のこういうところが男心をくすぐるのだ。

「もしかしてなんだけど……親の話、聞いてない?」
「え? 親の話……?」

 親の話とはなんだろう。
 天空橋に言われ、前に母親と交わした会話を思い出してみる。

 俺の母はバリバリのキャリアウーマンであり、どっかの社長の秘書なんかをやっている関係上いろんなところを飛び回っているため滅多に家に戻ってこない。
 俺が中学生の頃は週に二、三度は帰宅していたが、高校に進学してからは月に一、二度がいいところだ。
 そのため、最後に話したのも二月の終わりくらいで……その時は確か。

『甲洋、大事な話があるんだけど』
『ん? なんだよ母さん、改まって』
『うん……実は私、再婚を考えてるんだけど……』
『へえ。いいんじゃないか?』
『軽いわねあんた』
『そうか? まあ、また時間ができたら会わせてよ』
『あの人も忙しいからもう少し後になるだろうけど……』

 ……そういやこんな話してたな。
 あんまり深くは考えていなかったが、そういえば母が再婚がどうのこうのと言っていたような記憶がある。

「……前に母親が再婚するとかなんとか言ってたような気がする」
「あ、それは聞いてるんだね。じゃあ話は早いや」

 ぽん、と手を打ち天空橋が笑う。
 そして改めて俺に向き直り、お辞儀をしてみせた。

「月守洋子さんの再婚相手――天空橋陽治の娘、天空橋葉月です。よろしくね、甲洋お兄ちゃん」
「え……。ええええええええ!?」

 俺はいよいよ自分が置かれた現実を正しく認識し、そして再度のフリーズを果たしたのだった。



 * * *



「あの、天空橋さん? ここはいったい?」
「甲洋くんをここに連れてくるよう、お父さんに頼まれてたんだ」
「あ、そ、そうなんですか……」

 俺の母と天空橋の父が再婚する。
 まったくの初耳だったそんなニュースを受けてフリーズした俺は、天空橋に促されるまま学校を後にし、そして今までの人生で一度とて縁のなかった場所に連れてこられていた。
 
 いわゆる料亭である。

 料亭といえば一見さんお断りと聞く。入口から漏れ出てくる厳かな雰囲気が一介の男子高校生にすぎない俺には体の毒だ。ここから一歩足を踏み出すだけでも相当に難易度が高いように思える。 
 だというのに隣の天空橋は平然としているし。いや、俺が精神にダメージを受けているのは当の天空橋が隣にいるからというのもあるのだろうけど。

「さっきから固いね甲洋くん。もっとリラックスリラックス」
「うひゃあ!?」
「あっ、ご、ごめんね」

 言いながら、天空橋の白く柔らかそうな手が俺の背中を優しく叩く。そのこそばゆい感覚に思わず奇声をあげてしまった。
 天空橋が若干驚いたように手を引くが、正直ありがたい。急なボディタッチは童貞には毒だ。猛毒すぎる。
 こういう何気ない仕草とかふれあいが数多の男子生徒を勘違いさせそして地獄に叩き落とすのだ。まして、俺と天空橋は期せずして家族となってしまった。いやでも接点は増えるだろう。心しておかねばなるまい。

「……よし、行こうか」
「うん、行こう」

 自らを律すると心に決め、俺と天空橋は連れ立って料亭への歩を進めた。
 よく知らない料亭でのマナー等は隣の天空橋の動きを見よう見まねしてどうにかやりきり、そのまま流されるようにお座敷へと通される。

「あ、来たわね甲洋」
「やあ、甲洋くん。葉月。待っていたよ」

 果たしてその部屋で待っていたのは、我が実母たる月守洋子と、ナイスミドルという言葉がこれほど似合う男もいないだろうと思わせるほどに渋イケメンなおじ様であった。
 目元が天空橋そっくりだ。間違いなく天空橋の父親である天空橋陽治さんだろう。

「遅くなってごめんなさい、二人とも」

 ぺこり、と天空橋が二人に頭を下げる。
 しかし、遅くなったのは俺がフリーズしたり料亭の前でうだうだしてたりしたせいであって天空橋は悪くないのだ。

「いや、謝らなきゃいけないのは俺の方です。ちょっと色々びっくりしてたもので……すみません」

 隣の天空橋に並ぶように頭を下げる。
 二人揃ってしばらく頭を下げていると、愉快そうに笑う陽治さんの声が耳に入った。

「頭を上げなさい二人とも。別に大して待ってはいないよ」
「は、はぁ……」

 そう言われて顔を上げると、優しそうに微笑む陽治さんの顔が目に入る。
 歳は四十を過ぎたくらいだろうか。いくらか顔にしわが刻まれてはいるが、まだまだ若さを失っていない精悍そうな顔立ちだ。
 あの天空橋の父親だけはあると思わせる容貌で、俺もこんな風に歳をとりたいと思わせる風格があった。

「別に怒ってはいないから、葉月ちゃんも甲洋も座って。ね?」
「はい、洋子さん」

 母さんの言葉に従い、俺と天空橋は二人に向かい合うような席に腰を下ろした。
 和室だから当然座布団の上に座るわけだが、いやしかしこんなところにくることになろうとは。

「……さて、まずは自己紹介をさせてもらおうかな。私は天空橋陽治と言います」

 俺たちが腰を下ろしたのを見届けたのち、陽治さんが切り出した。
 
 陽治さんはそれから俺の母親との出会い――母はこの天空橋陽治さんの秘書を長年勤めていたらしい――から、再婚に至るまでの経緯を語った。
 時間が取れずに俺と顔を合わせる機会が少なかったことや、突然の再婚になって驚かせてしまったことを何度も謝罪されたが、それは別に構わない。
 そこはコミュニケーション不足だった俺と母が責められるべき部分であり、陽治さんに非はないと思う。

「でも母さん。再婚するとは聞いてたけど連れ子がいて、しかもそれが天空橋とは聞いてないぞ」
「驚くかなと思って」

 心底驚いたわ。

「わたしは前々から聞いてたんだけど……洋子さんに口止めされてて。ごめんね?」

 申し訳なさそうに天空橋が詫びるが、悪いのは母であって天空橋ではない。
 
「同い年の連れ子同士で学校どころかクラスも同じだし、仲が悪かったら事だなとは思ってたのよ。でも話を聞く限りそうでもなさそうじゃない?」
「そもそも天空橋を嫌う方が難しいと思うけどな」
「あんたが嫌われてる可能性の方が大きいか」
「わ、わたしは甲洋くんのこと嫌いじゃありませんからねっ」
「あはは、よかったわね葉月ちゃんがそう言ってくれて」

 天空橋が他人を悪し様に言うなんて思っちゃいないから、そこは想像の範疇だ。
 
 まあ、そんなこんなで俺の新しい家族との初顔合わせはつつがなく進行し、俺は一気に増えた家族に驚きつつも嬉しさを覚えていた。
 陽治さんは頼りになる男って感じだし、きょうだいの天空橋は……なんといっても可愛いのだ。
 彼女と家族になったとして、喜ばない男はいないだろう。
 もちろん、家族になったからといって一気に距離が近くなるかといえばきっとそうではないのだろうし、変な勘違いはしないように自制せよと肝に命じておかねばならないわけだが。

 だが、そんな俺の決意も吹き飛ばしてしまうような衝撃の一言が陽治さんの口から発せられてしまうのだった。

「ところで家族になったわけだしみんな一緒の家に住もうと思ってはいるんだが、あいにく私も洋子さんも長期の出張が入ってしまってね。甲洋くんにも葉月にも悪いが、当分二人で暮らしてくれるかな」

 ……え? それって天空橋と同棲するってことですか?
 隣の天空橋をちらりと見ると、よろしくね、とにこやかに微笑んでいた。

 あの、天空橋さん。なぜあなたは乗り気なんでしょう?
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